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採銅所駅(福岡県田川郡香春町)

 今回、ご紹介するのは福岡県田川郡にある日田彦山線採銅所駅です。
 駅名(周辺の地名でもある)の由来はそのまんまで、古くから近隣で銅が取れたことによるとのこと。周辺は小さな集落があり、民家もそこそこの数が軒を連ねます。

年末の訪問のため、正月を迎える門松が飾ってあった



 駅舎はこれまでご紹介した石原町駅呼野駅と同じ大正4年竣工。デザインもほぼ同じタイプ。軒を見上げると木材を加工してあつらえた凝った装飾が見られ、現代の無機質な駅舎と違い、なんとも瀟洒(しょうしゃ)な造りです。石原町駅ではこの部分は板がはめられているだけでしたので、こちらはよく当時の意匠が残されています。

(下左)木造の飾りデザイン (下中)入口扉の真鍮製鍵穴 (下右)木製ベンチ

 


 天井の飾りデザインも石原町駅舎と同じ。こちらは、レトロな雰囲気のランプが据え付けられています。
 2011年に駅舎を改修。無人化以降、戸板ではめ殺しにしてあった券売窓や外窓は、その後ガラス窓に戻されたようです。かつての駅事務室は、現在は地域の交流スペースとして活用されています。

 (下左)整備用ピット跡  (下右)かつての貨物ホーム跡。桜並木が続く



 本線脇には貨物ホーム跡、側線には車両整備のためのピット跡もあり、こんな山あいの小さな駅にもかつての栄華がしのばれます。
 駅周辺は桜の木がたくさん植えられ、春には美しい景色が広がります。桜の季節には、ぜひまた訪れたいと思います。

 小倉方面へ向かう上り列車




 当駅を動画で紹介している10年以上前のNHK映像アーカイブ
 3分ほどの短いものですが、映像とBGM、そしてナレーションのすべてが秀逸。↓

www2.nhk.or.jp

 

 

呼野駅(北九州市小倉南区)

 前回ご紹介した石原町駅のお隣にある呼野駅。木造駅舎のご紹介といいながら、ここに駅舎はありません。正確には、石原町駅と同じタイプの大正4年竣工の木造駅舎が存在したのですが、1990年代に取り壊され現存しません。

ホームの待合場所が駅舎を兼ねている 



 現在は、上下線を兼ねたホームが一本と寂しい限り。旧ホームとかつての路盤は荒れ放題で、雑草が生い茂るのみ。

旧ホームとかつての待避線跡



 この駅の特徴は、1980年代まで福岡県で唯一のスイッチバックが存在したこと。
 北九州側からやってきた列車は、ここから田川方面に向かって最大17‰の上り勾配を進まなければなりません。現在の電車や気動車と違い、単機ならともかく客車や貨物を引いた当時の蒸気機関車では容易に登れる勾配ではなかったのでしょう。
 そのため、駅に停車した下り列車はそこからいったん400メートルほど北九州方面に後退し、スイッチバック用の路線に退避。そこから加速して登って行ったというわけ。
 私自身、このスイッチバックの現役当時の様子を見たことがないのが至極残念。

(左)駅からの景色  (右)16‰を示す登り勾配標 



 下のマップを航空写真に変更し、地図の上方向を見ると左にカーブした当時のスイッチバック線が確認できます。

石原町駅(北九州市小倉南区)

 しばらくぶりの木造駅舎探訪です。今回から数回、福岡県北九州市大分県日田市を結ぶ路線である日田彦山線の駅舎を巡ります。
 まずは、北九州市小倉南区にある石原町駅です。

自動販売機一台と公衆電話ボックスがあるのみ



 ここからほど近い山から産出される石灰石を運び出すための駅として、大正4年に竣工。当駅からそれらを運び出すための貨物支線が伸びていましたが、現在はすでに廃線。路盤も撤去されています。
 駅舎は、竣工当時の田舎駅で多く採用された基本的なスタイルで、次回以降にご紹介する予定の採銅所駅もほぼ共通の造り。単式ホーム一線と島式ホーム二線。
 昭和59年に無人駅となりましたが、その後いったん有人化。しかし平成27年、再び無人化されました。無人化に伴い、駅事務室や切符の販売窓などは全て閉じられています。

天井の意匠がこんな田舎の駅でも洒落ている。
入口扉の上側のレールの造りもこの時代ならでは 



 駅前は広く取られていますが、何もありません。民家があるだけで、商店らしきものは見当たりません。もしかしたら、以前はあったのかもしれませんが。
 近くには、日本三大カルスト台地の一つで国定公園でもある平尾台がありますが、とても歩いて行ける距離ではなく、駅を利用するならここからタクシーを呼ぶか本数が非常に少ない乗合バスを利用するほかありません。

 人っ子一人いなかった