今回は、当ブログで初めて二輪にまつわることを書き連ねます。
過去イチの長文になりますが、興味がおありの方はどうぞお付き合いくださいませ。
私が初めて乗ったバイクは、実家にあったホンダ・スーパーカブ50。四輪の免許を取り、それで原付に乗っていました。
原付とはいえあの時代のカブは結構な車重で、とても軽快な走りと呼べるものではありません。それでも右手でアクセルをひねればスピードを上げ、どこまでも走り続けてくれるバイクというものは、自転車しか知らなかった若者の行動半径を一気に広げてくれる魔法のような乗り物でした。
当時の私は18歳。人一倍カッコウをつけたがるのは若者の性(さが)です。今でこそカブは若い人たちに人気のようですが、当時は新聞配達や郵便局御用達の実用バイク。おしゃれには程遠く、どうにもカッコウがつきません。そこで購入したのが真っ赤なホンダ・リード50S(新車)です。スズキのシュートというスクーターとどちらにするかずいぶん悩みましたが、当時はバイクといえばホンダだろうとリードに軍配が上がったのでした。
当時のカタログ。ドラマティック・スクーティングってなに?(画像はモトチャンプより)
スクーターであるにもかかわらず一丁前にタコメーターまで付いており、出力も5.5馬力とクラス最強レベル(ちなみにシュートはなんと6馬力!)。うれしさに舞い上がっていた私は新車購入の翌日、後先考えずにハイスピードのまま勢いよく左コーナーに進入。これでは曲がりきれないと慌ててパニックブレーキをかけたことから、フロントタイヤをロックさせ豪快に転倒。購入二日目にしてあっという間に車体の左半分を傷だらけ(体も左半分が傷だらけ)にしてしまったのでした。
当時のカタログ(画像はモトチャンプより)
ある日のこと、同級生の友人が見慣れないスポーツバイクに乗って我が家へ遊びにやってきました。スズキRG50ガンマという原付で、おもしろいからぜひ一度乗ってみろとしきりに彼は言います。
バイクは移動に便利だから乗っているのであってバイクそのものにまったく興味がなかった私は、せっかくの新車を転ばすわけにもいかないし遠慮しとくよと断りをいれるも、いいからとにかく乗ってみろと彼もなかなか引きません。
友人のあまりの熱意に根負けし、仕方なくRGにまたがってみました。スクーターと違ってバイクの左レバーはクラッチ、右足はリアブレーキ、左足はギアチェンジをするといいます。
ひと通り操作方法を習った私は、軽くアクセルをあおりながら恐る恐るクラッチミート。幸いエンストすることもなく、バイクはスルスルと走り始めます。クラッチを切り、そして左足でガチャリとシフトアップ。その操作を繰り返しながら、どんどんRGを走らせます。
当時のカタログ。仁王立ちするのは、’82年GP500チャンプであるイタリアの伊達男フランコ・ウンチーニ。後ろには彼が駆るワークスレーサーRG500Γ
「なんだこれ? おもしろい! めちゃくちゃおもしろい!」
うまくギアチェンジできたことがよほど楽しかったのか、私がバイクの虜になった瞬間でした。
そこからはもう止まりません。
さっそく自動二輪中型免許(〜排気量400CCまで乗車可能)を取るべく、近所で二輪の教習をやっている自動車学校を探します。
ここで問題がひとつ。四輪と違って二輪には事前審査なるものがあり、400CCのバイクを複数回倒して引き起こすことができるかやセンタースタンドを立てられるかなど、重い車体をちゃんと操ることができるか入校前にチェックされるのです(安全のため、当然といえば当然)。
ところが、最初に行った自動車学校では初めて触れる400CCバイクのあまりの大きさと重さに圧倒され、まったく歯が立たず一度も引き起こすことができません。結果、あえなく入校拒否! こちらはお金を払って入校してやる(!)と言っているのに、それすら一方的に拒否されたのです。
なんという恥辱!
なんという屈辱!
あんな大きなバイク、こちとら一度も触ったことすらないんだからできなくて当然だろ!(本当はちょっとしたコツがあって、それを知らなかっただけですが)
事前審査(画像はモーターファンより)
それでもなんとか二つ目のところに入校することができ、さっそく教習開始です。
順調に教練を消化していき、迎えた卒業検定の日。
この日は、運悪く朝から結構な雨。今さら試験日程を変えるわけにもいかず、降りしきる雨の中、イヤな予感を胸に卒検がスタート。
ひとつひとつ課題をクリアしていき、残るは最後の急制動のみ。
さぁ皆さん、もうお分かりでしょう。
ええ、未熟な私は案の定ここでも濡れた路面にフロントタイヤを勢いよくロックさせ、もんどりうって派手に転倒! 車体から放り出された体は、嫌というほどアスファルトに叩きつけられたのでした。
当然ながら卒検は即時中止。バイクはガチャガチャ、雨に濡れた体と衣装はズタボロと散々な目に。
検定車は基本的に綺麗な車両を使っており、これを台無しにした私は鬼のような(いや本当に鬼か)教官からものすごく厳しく(筆舌に尽くし難いほど)どやし上げられました。これ、今の時代だったら大問題だと思うけどなぁ(笑)。
教習車、検定車ともにヤマハXJ400Dだった。4本出しマフラーがイカす(画像はヤマハ発動機より)
さて、二度目の検定で無事に中型免許を手に入れた私ですが、それで終わりではありません。すぐさま次に狙うは限定解除(中型限定免許の「限定を解除する」ということ。つまり、どんな排気量のバイクでも乗れるようになる)です。
今でこそ大型二輪免許も教習所で取得できますが、80年代前半当時は自動車運転免許試験場に行き、いわゆる一発試験に合格するしか道はありませんでした。それならば変なクセがついておらず、教習所の走り方が身に染み付いている今がチャンスだと考えたわけです。
友人からバイク用のブーツを借り(これが私には小さ過ぎてまともに歩けない)、朝も早よから2時間かけて免許試験場へ。この日、集まった受験者は40人くらい。高身長に革ツナギをキメたイケ好かないやつもいます(笑)。
当然ここでも事前審査があり、タンクに砂を入れたクッソ重たい古いナナハンを左右5回ずつ倒しては引き起こし、倒しては引き起こし。そして八の字押しに、センタースタンドがけは10回だったか。限定解除は基本、落とすための試験なのです。
検定が始まるまでのうちにきょうのコースを実際に歩いて頭に叩き込みますが、ここで小さなブーツに泣かされます。指先が痛え。
事前審査はCB750four。今では中古車市場で結構な値段で取引されている(画像は本田技研工業より)
そして、いよいよ検定スタート。
皆、必死の形相で走りますが、そこはさすがに限定解除。情け容赦など微塵もありません。
検定中止!
検定中止!
出る人出る人、皆あえなく撃沈していきます。
おっ、ここでさっきの高身長革ツナギキメキメ野郎の登場です。順調に課題をクリアしていきます。
さぁ、ここからは波状路。中型までにはない課題です。凸凹とした不安定な道を指定された時間をかけてゆっくりと進まなければなりません。
ガタンゴトン、がたんごとん、ガタ…プスン…、グワっシャーン!!
途中まではよかったのですが、クラッチ操作とアクセルの加減を誤りエンストしてあえなく転倒。あんなカッコいいやつでも落ちましたね。
波状路(画像はロイヤルドライビングスクール広島より)
さて、いよいよ私の出番です。
検定車はホンダCB750K。当時としてもクッソダサいバイクです(限定解除後、最初に買った大型バイクがCB750Kの兄弟車であるCB750Fなのはご愛嬌)。
これ見よがしにミラーを触り、後方確認も怠りなし。クラッチミートして、いざスタート!
クランク、スラローム、一本橋はお手のもの。波状路とて問題なし。中型免許を取ってからまだ一ヶ月ですから、試験官が好む教習所走りは鬼教官から叩き込まれた体が覚えています。しかも原付しか乗ったことがなかった私にとっては、400CCだろうが750CCだろうが「大きなバイク」であることに変わりはなく、どちらの排気量でもほぼ同じ感覚だったのも幸いでした。
一発試験は減点方式になっており、100点満点からスタートして70点を切ったところで検定中止のアナウンスが入ります。
きょうの私はといえば、あの忌まわしい思い出しかない急制動すらものともせず、すべての課題をなんなくクリアし、あとは外周を回って戻るのみと怖いくらいに絶好調です。
ここで悪魔が囁きます。
これ受かったんじゃね?
あれだけ難しいって言われてる限定解除、一発で受かったんじゃね?
すごくね? 全国合格率5%よ? 5%!
フッと気持ちが緩んだ瞬間、「あれ? もしやコース順路、間違えてない?」となぜか急にコースのことに気を取られて動転、ふと見ると目の前の信号は「赤」。
慌ててブレーキをかけるも間に合わず、停止線をわずかにオーバー。
これはもう一発で検定中止のやつです。
ここで「はい、スタート位置に戻りなさい」と無情のアナウンスが(ちなみにコースは間違っていませんでした)。
まぁ、いくらなんでも一回で受かるほうが出来すぎです。
惜しかったなと少し残念に思いつつ、一ヶ月後の予約を入れて次回に備えます。
検定車はホンダCB750K(画像はwebオートバイより)
そして、迎えた二回目の試験。
今回の受験者もおよそ40人くらい。前回と同じく、いえそれ以上にコースを頭に叩き込みます。もう同じ轍は踏みません。
ところが、ここでもまたやらかします。
スタートと同時にわずかながらふらついてしまい、あっという間に気が動転。しかし、ここで意気消沈してなるものかとぐっと踏みとどまり、気持ちを切り替え必死に走り続けます。
その後は慎重に慎重を重ね、そして無事完走。
検定車から降りると、試験官がいるコントロールタワーに呼ばれます。
どこが悪かったと思うかと聞かれ、最初にふらついてしまったことを伝えると、「自分の悪かったところが分かっているならいい。70点ギリギリで合格だ」。
「え!?」
もう本当に天にも昇る気分でした。
免許交付の必要書類が入った封筒を手にコントロールタワーから降りると、まだ検定を受けていない受験者たちから温かい拍手が。気分はライブステージで熱烈なファンたちからアンコールを受けるアーティスト状態です。
ありがとう、みんな。
本当にありがとう。
みんなも頑張れよ。合格祈ってるよ。
この日の合格者は、私ともう一人。ちなみに、その人は今回が初めてだと言ってました。ホントかなぁ(笑)。まぁでも40人中の二人ですから、合格率5%の話はあながち間違いではなかったのでしょう。
世の中いろんな試験がありますけど、これほど合格してうれしかったことはありません。
ほんの三ヶ月前まで原付しか乗ったことがなく、中型の事前審査が通らず自動車学校への入校すら拒否された男が、あれよあれよという間にどんな排気量のバイクでも乗ってよいとお上からお墨付きをもらったのですから、世の中なにがどうなるか分からないものです。
今では限定解除という言葉自体なくなってしまいましたが、あの時代に私と同じように合格した人たちにとっては、彼らと同じ数だけの思い出とドラマが今も心に刻まれていることでしょう。
(あとがき)
今回の話は1984年(1985年?)頃、ロードライダー(1982年創刊、2019年3月をもって休刊)という雑誌に自身が投稿・掲載されたネタを思い出しながら大幅に加筆修正したもので、当時は景品としてトレーナーが送られてきました。今ではいい思い出です。
↓ ロードライダー誌のフェイスブック