快晴の本日はクルマを走らせ、九州の中でも本州よりの端っこに位置するとあるスポットに向かいます。ちなみにここへのアクセスは、途中までは路線バスがありますが、そこから先が結構距離があり、基本的には自家用車かレンタカーもしくはタクシーで行くしか手段がありません。観光地として有名な門司港レトロ地区からは、かなり離れています。
少し細めの通りに入り、塩の生産工場や石材取扱店の横を通り抜けると突然、目の前には波穏やかな海が広がります。瀬戸内海に続く内海ですから、行き交う船もたくさん。さらにしばらく進むと、海岸沿いに忽然と白い何かが見えてきました。
ぱっと見、かなり異様です。さぁ、グイグイと近づいていきますよー。
ズン、ズン、ズズン、ズズズずん。
ドーン!
ちょっと小太り気味の自由の女神?
いえいえ、それはたいへんに失礼な話。
こちらは、1876年(天保7年)大分県生まれの僧侶・清虚(せいきょ)というお方の巨大な像。
その昔、この海域は暗礁が多くまた潮流がとても速い海の難所だったそう。そして、高野山に向かう船旅の道中、それを知った清虚さんは僧侶としての自らの修行をあきらめ、生涯この地で航行の目印となる火を焚き続け、行き交う船の安全に大いに寄与したということです。
当時は電球なんてありませんから、明かりといえば「火」のみ。ただでさえ風が吹き抜ける小高い丘の上です。風雨激しいときはさぞかしたいへんだったことでしょう。まったく頭が下がります。
像の建造は昭和49年。全高は、台座込み約14メートルでコンクリート製。ご尊顔を拝見したかったんですが、そのためには海へ身を投じなければなりません。さすがにそれは無理なので、他の方のサイトから拝借させていただきます。しかし、この方たち、どうやってお顔の写真を撮ったのやら。潮が引けば撮影できるのかしら。
清虚像のご尊顔をご覧になりたい方は、下記のサイトへ
さて清虚像を後にし、続いては山の上にある部埼(へさき)灯台と清虚さんが火を焚いていたという火焚場跡に向かいます。山頂を見上げれば、それなりの段数がありそうです。以前は一段ごとの高さも不規則な古い石階段だったようですが、今はご覧のとおりコンクリートできれいに整備されています。段差も小さくなるよう配慮されているので登りやすく、疲れも軽減されます。老体にはありがたい限り。
ゆっくりと登り切ったところで、振り返れば眼前には美しい青い海が目いっぱい広がります。これは素晴らしい。潮風に吹かれて、しばし時間を忘れます。
こちらの白い灯台は部埼(へさき)灯台といい、建造は1872年(明治5年)。外国人技師であるリチャード・ヘンリー・ブラントン氏による設計で、山口県の角島にある角島灯台も同氏の手によるものだそう。
台座は石積みで、真上から見ればちょうど円を半分に切り取ったようになっています。安全航行の要なだけあってさすがに手入れは行き届いており、とても150年前の建造物と思えないほど美しさと機能を保っています。山側には船の航行をサポートする大きな電照灯が建っています。
最後は、清虚さんが火を焚いていたという火焚場跡へ。眼前に関門海峡を臨み、その先には本州である山口県が見えます。本来の火焚場はここよりもっと山側にあったらしいのですが、大雨で流出し、残念ながら現存していないとのこと。
きょうは、先達の偉業と数々の美しい景色に触れた一日でした。