本日は、福岡県の中央に位置する直方市へとやってまいりました。
ここ直方市は、福岡県内の筑豊地区と呼ばれる旧産炭地エリアの中心地の一つで、かつては国鉄の直方機関庫を擁する石炭輸送の一大集積地として大いに栄えた街です。
残念ながら昭和40年代以降、近隣各地の炭鉱の閉山と相まって筑豊地区の街並みは目に見えて衰退。ここ直方駅周辺のかつての中心地も、過去の栄華は何処へやら。今は、シャッター街となった長大な商店街が残るのみ。(のみといっては失礼か)
そんな直方市に今も残るレトロな建築物を散策してまいりましたので、写真を中心にご紹介します。
ちなみに直方市は、大相撲の大関だった元魁皇関や歌手の桑田靖子さんの出身地でもあります。
目次
- 菓子問屋
- 跨線橋
- 直方市石炭記念会館
- ランプ小屋跡
- 直方市美術館別館(旧福岡銀行南支店)
- 向野堅一記念館(旧讃井病院)
- 江浦医院
- 直方谷尾美術館洋館(旧奥野医院)
- 直方谷尾美術館収蔵庫(旧篠原邸)
- とある商店
- ふるまち通り商店街
- サトちゃんとサトコちゃん
- すさき町商店街
菓子問屋
初めに訪れたのは、とある菓子問屋さん。
現在は廃業しているようです。各種取扱商品や看板にある電話番号を見るにつけ、時代を感じずにはいられません。
跨線橋
続いて、直方市石炭記念会館に向かう跨線橋。
横から見ると、アレ?
これは鉄道施設であるターンテーブルを橋に転用したもの。今も残る信号機がその証し。
直方市石炭記念会館
1910年(明治43年)、この地域の炭鉱経営者たちが共同で組織する筑豊石炭鉱業組合直方会議所として建築。(経営者の中には麻生元首相の曽祖父・麻生太吉氏も)
周辺には、かつて活躍した蒸気機関車や小型電気機関車、訓練用坑道跡などがあります。
ランプ小屋跡
かつて鉄道の客車用やその他の照明用ランプを灯すための油やランプを保管していた建物。油や火を扱うため、木造ではなくこのようにレンガで造られていました。現在は何も保管されていないようです。(おそらく明治期の建築物)
直方市美術館別館(旧福岡銀行南支店)
元々は大正3年、旧十七銀行直方町支店として建築。現在は撤去されていますが、屋上にドーム状の屋根を設けた豪華な造りだったようです。その後、数々の銀行が入れ替わりながらも営業を続けましたが、ついに銀行としての使命を終え、現在に至ります。
内装は近代的に改装されていますが、風格ある外観は当時の意匠を色濃く残し、市内でも珍しい近代的洋風建築として市民に親しまれています。
向野堅一記念館(旧讃井病院)
国登録有形文化財。
1922年(大正11年)、病院として開業。
開業当時は、小児科、内科、歯科を併設する総合病院だったそう。現在の建物は、小児科部分のみが残っているとのことです。
外壁は擬石(コンクリートやモルタル)が使われていますが、れっきとした木道建築。
江浦医院
明治34年開業の木造洋風建築。
驚くべきことに、今も現役の病院とのこと。素晴らしいのひとこと。
直方谷尾美術館洋館(旧奥野医院)
大正2年ごろに皮膚科・泌尿器科として開業されたそうですが、昭和15年に火災に遭い、再建されたのが現在の建物だそうです。国登録有形文化財。
直方谷尾美術館収蔵庫(旧篠原邸)
1915年(大正4年)に建てられた町屋建築。当初は旅館業を営んだそうですが、のちに米屋としても活用されたとのこと。
とある商店
すでにタバコは販売していない模様。
「おくりものにたばこ」の文字が泣かせます。そういえば亡き父が若かりしころ、カートン単位(タバコ10箱で1カートン)で贈ったり贈られたりしていたような記憶がうっすらとあります。
ちなみに、TOBACCOはポルトガル語です。
ふるまち通り商店街
ご覧のとおりのシャッター街。
高いアーケードが往時の賑わいを思い起こさせます。通りの全長も相当なものです。
サトちゃんとサトコちゃん
街角の薬局前に佇むビニールを被せられたサトちゃんとサトコちゃん(手前のピンクの象さんがサトコちゃん。奥のサトちゃんはもはや判別不能)。
お子さんが乗って遊ぶための筐体ですね。屋外保管のようで、汚損防止のためのビニールなのでしょう。
すさき町商店街
最後は、すさき町商店街。
昭和30年代までは、たいそう賑わっていたようです。
上記のふるまち通り以上の寂しさ。しかし、頑張っているお店もちらほら。
すさき町商店街。
この街灯、横文字を絡めたロゴがなかなかに洒落てます(すでに街灯として機能してませんけど)。