大分県宇佐市は、太平洋戦争時に宇佐海軍航空隊とその飛行場があったところです。現在、滑走路跡は道路になっており、往時の面影を伺い知ることはできません。
しかし、周辺には「掩体壕(えんたいごう)」と呼ばれる航空機のための塹壕が、今も数多く残されています。
ほとんどが一人乗りの戦闘機や攻撃機、爆撃機などを守るための小型のものですが、一基だけ大型の爆撃機用のものも残っています。遺構として整備されているのは、城井一号掩体壕と呼ばれるものだけで、ほかは個人の方や企業の倉庫などに転用されています。
掩体壕の正面口は、同一方向ではなく、すべて別の方角に向いて設置されています。これは、同じ方向に開口していると敵の爆撃や機銃掃射を受けた際、運が悪ければ一度に多くの機体が打撃を受けてしまうので、それを防ぐためとのことだそうです。
ほかにも、周辺には通信室跡やエンジン調整室跡、落下傘整備場跡など、さまざまな施設が残されています。
建物の外壁に刻まれた無数の銃痕が、戦争末期の攻撃の激しさを物語ります。
ちなみに私の母は、私の祖母や叔母たちとともに、宇佐の隣町の天津というところに疎開していたそうです。食べ物ではずいぶん苦労したと何度も聞かされました。
二度とあのような時代が訪れませんように。